ブルマ画像が氾濫しているのに、体育の時間にブルマをはく小学生の女の子はとんと見なくなった。というより、学校でのブルマの採用はなくなっている。したがって、ブルマの画像やブルマの写真の対象となる学校の女生徒たち自体がとっくにいなくなっているのだ。
私の年代にとって、今も心に残るブルマ画像は体育の授業の象徴だった。女の子の体操着といえばブルマに決まっていた。
あれだけ定着していたブルマが、なぜ、学校の体育の舞台から消えてしまったのだろう。
ブルマについて調べてみると、アメリカを起源として日本では明治時代にまで遡る。ここでは詳細は省くが、学校教育という権威ある場に採用されたアイテムであり、これが東京オリンピックでアメリカのチームのブルマデザインに刺激され、さらなる隆盛を極めたとのこと。
ところが、このブルマ、セーラー服と共にブルセラの標的にされてしまった。まさしく、ブルセラとはブルマーとセーラー服だ。権威あるアイテムがいかがわしい世俗の波にもまれてしまったわけで、遂にその権威ある立場から失墜し、教育現場から消えてしまった。ということらしい。
ところが、時の経過を物ともせずにブルマはブルセラサイドおよびこれから派生した種々のマニアの世界でますます興隆していく・・。
ブルマそのものよりも、ブルマ画像というイメージが力強く生き残り、これがブルマ製品自体を存続させているという現象だ。しかし、今のブルマは実用品としてはほとんど使用されておらず、あくまでも趣向品である。そしてその趣向はブルマ画像を求める情念によって多方面に展開されている実状だ。
たとえば、ブルマ小説などというものがある。ブルマフェチはむろんのこと、スクール水着(この世界ではスク水という)との相性も良い。高校、二次元、女将との組み合わせ語も生まれた。ちょうちんは過去のブルマの形状であり、イメージとして今も健在。また、綾瀬はるかやニンジャも関係しているらしく、多彩すぎて理解不能だ。こういったものの理解のためには、ブルマサーチなどどというサイトも存在している・・
波乱万丈のブルマはこれからどこへ行くのか。
それにしてもノスタルジックなブルマ。昔の人間には、あるべき所から消えてしまったことは寂しい。しかし、形はどうあれ、別の世界で力強く生き残り続けている。
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